今日も家族を守れた、それだけで良い日

借金生活と心の葛藤
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現実はやっぱり厳しい。

通帳の残高、カードの引き落とし、来月の支払い予定。
どれを見ても、胸の奥からため息が漏れる。

「また足りない」──それが頭の中を埋め尽くす。

誰かが「これ欲しいな」と言った瞬間、反射的に「いくらだろう」と計算してしまう自分。
その癖に気づくたび、父親としての情けなさがこみあげる。

本当はただ、「いいね」「買ってあげよう」って笑顔で言いたい。
でも現実は、そんな余裕をなかなか許してくれない。


数百円のパンがくれた小さな光

今日、帰り道でふと思い出した。
子どもが昔から好きだったコンビニのパンのことを。

いつもなら「我慢しよう」と通り過ぎるところを、今日は小銭を握りしめて買って帰った。

数百円を出すことは、正直いまの自分にとっては重い。
でも、子どもが笑顔でそのパンを食べる姿を見た瞬間、
「買ってよかった」と心から思えた。

苦しい中でも、誰かの笑顔を守れる瞬間があると、
自分の中に「まだやれる」という力が湧いてくる。


借金が、自分の価値を奪うように感じた日々

借金を抱えてからというもの、
「お金がないこと」がそのまま「自分の価値がないこと」のように思えてしまった。

・家計を守れない父親
・余裕を持てない夫
・ただ必死に耐えるだけの存在

そんなふうに自分を下げ、心が小さくなっていった時期もあった。

でも、どんな日でも家族は「おかえり」と迎えてくれる。
「一緒にごはん食べよう」と声をかけてくれる。

その瞬間、ああ、自分はまだここにいてもいいんだ──と、ほんの少し救われる。


今日を生き延びたことに意味がある

収入は増えない。
支出は待ってくれない。
出口の光なんて、まだ見えない。

それでも──
今日も家族は無事で、みんなで食卓を囲めた。

それって、実はすごく大きなことなんだと思う。
他人と比べるんじゃなく、昨日の自分と比べて一歩でも進んだかどうか。

今日も生き延びた。
そして、誰かの笑顔を守れた。

それだけで「良い日だった」と言える強さを、
少しずつ、取り戻していきたい。